ホアン・アンドレス・マヤ、その人生と主なる作品

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本名:ホアン・アンドレス・エレディア・マジャ、芸名:ホアン・アンドレス・マヤ(幼少の頃はホアン・アンドレス又はホアン・アンドレス・エレディアと呼ばれている)は1972年1月6日スペイン グラナダにあるジプシー地区の中心であるサクロモンテに生まれた。
芸術家の多い家系で、彼は大変有名な踊り”マリオ・マジャ”や”マノレーテ”そして劣らず高名なギタリスト”ホアン・マジャ・マローテ”の甥にあたる。彼自信も3歳という幼年で両親が所有している「クエバ・デ・ラ・ロシオ」で踊り始めた。やがてこのクエバ(山をくりぬいて作った洞窟)グラナダの見所、サクロモンテを訪れる多くの観光客にとっては見逃せない場所となったのである。彼は幼少の頃より日本のテレビ番組にも出演し6歳の時(鉄の足マキージャ)14歳の時に「世界めぐり愛(N.o.209踊れ!情熱フラメンコ)」において彼の自宅にてサクロモンテのフラメンコ一家という紹介の番組に出演しフラメンコとジプシーのいきざまを披露する。

14歳の頃、芸術活動の場を広げる為”カチャド”と共にエジプトのカイロへ渡った。この最初の海外遠征を気にグラナダきってのフラメンコの舞台ホール(タブラオ)「エル・ネプトゥーノ」の花形踊り手として雇われる事になった。彼はそこで、マドリードの「カフェ・デ・チニータス」の舞台に参加するよう”ラ・チュンガ”に声を掛けられるまで、いわば芸暦の初期段階である2年余りを過ごした。こうしてフラメンコ界の花形とも言える地位を得ると、アメリカへ飛びシカゴでの公演を果たした、文化省主催の全国文化週間中スペイン各地を公演して巡った。
1990年、18歳になったばかりの彼は、グラナダ「イザベル・ラ・カトリカ」の舞台で(パシオン(情熱))と題する初めての振り付け作新を披露した。この舞台は大変な評判を呼び、首都マドリードの幾つの市立劇場での公演を実現させた。

1992年は踊り手ホアン・アンドレス・マジャにとって実に様々な出来事に富んだ年となった。というのも、その年セビリア万国博覧会が開催され、そこで”ミゲル・ホセ”と<21世紀の若い勇気>と題する舞台を行い、開催期間中を通して一般観衆をはじめ専門評論家達の間で大きな反響を呼んだのである。また同年、再びスペイン国内のあらゆる主要な劇場を巡る公演旅行をしていた時、バレンケにて作品(コントラステ(コンテスト))を演じ、ユネスコ賞にノミネートされる。そして自信のソウサク活動を続けながら、セビリアのビエナル(3年に一度のフラメンコの祭典)の壮麗な舞台にも加わり以来継続的に参加し続けている。またこの年には女優 真野 響子企画の「旅に夢中(フラメンコに溺れて)」が日本においてテレビ放映され、彼のリハーサル等を取り入れながら彼女と共にグラナダの町を紹介し、自宅の「クエバ・デ・ラ・ロシオ」や「エル・ネプトゥーノ」において踊りの撮影が行われた。

1995年には”カルメン・リナーレス”と共にヨルダンとチェニジアへ合同公演に出向き、またグラナダ国際フェスティバルでも独自の舞台を演じた。翌年、両国王陛下に”カルメン・デ・ロス・チャビテレス”で舞台を演じるように招かれたり、シェラ・ネバダで行われたアルペンスキー世界選手権の際には、グラナダアルハンブラ宮殿の舞台を始めて踏むことになり(カウディボ(とりこ))を公演した。また音楽と舞台の祭典の中で、”マノレーテ”、”ラ・ジェルバブエナ”、”ベアトリス・マルティン”等と共に”マヌエル・デ・ファーリャ”の忘れがたい名作<アモール・ブルッホ(恋は魔術師)>でカメロ役を演じた。又、この年はマイアミやニューヨークへ遠征し、特にニューヨークでは権威あるリンカーンセンターでの舞台を果たし、その後オランダ公演も実現させた。更に日本へも飛び、イベリア企画主催の公演に参加、そこには”エル・グリロ”や”ミステーラ”の顔もあった。9月にアルバ公爵夫人の後援で再びマドリード公演が実現し作品(ライセンス)を発表した・

1997年、スイス・バスクアル監督のモンタージュ作品(ゲロニカ)への出演協力の要請をアントニオ・カナーレスにより受け、スペイン市民戦争を題材にし、ピカソを不朽の画家にのしあげた余りにも有名な作品の雄牛の役を演じた。そしてこの舞台の成功を見ると、ニューヨークへもどり、”フェデルコ・ガルシア・ロルカ”を偲んで行われた祭典で現地の団体フラメンコ・ビボと競演した。

1998年、東京の「カフェ・デ・チニータス」を訪れ(ヒターノス・デ・サクロモンテ(サクロモンテのジプシー達))を6ヶ月演じた。又、同年9月、セビリヤのビエナルでマジャ家全員と競演を果たし、10月マドリードの「カフェ・デ・チニータス」にも再訪した。その後、再び両国王陛下にパラシオ・デ・ラ・サルスエラにおいて行われたソフィア王妃の誕生日を祝する祭典にも招かれた。

1999年、ノルウェー公演を期に、ホアン アンドレス・マジャ舞踊団を結成し同年4月にマドリードにて公演を行う。又、アンダルシア地方を中心に20歳の時より、振付師として又、教師として長年に渡り後輩達を育てることもに余念がなく、彼のクラスは海外からも生徒が参加し名誉教授としても名高い。